大富豪と学校の成績と今の自分

株式会社はてな代表取締役の近藤淳也氏
CNET Japanで連載している「近藤淳也の新ネットコミュニティ論」で
8/11のエントリー「カードゲームで人間を知る」の中で
とある高校で「起業家として授業をして欲しい」と頼まれた際に
生徒に5人ずつグループを作ってもらって事前に1時間大富豪で遊んでもらい
ゲームを
通じて起業家に向き不向きや
徒競走を廃止する学校が増えているのはいかがなものか
実社会では競争が多様化して、自分がどの競争に参加するかを見極め、どれくらい真剣に勝負できるかが問われようとしている
といった内容が書かれていました。
決められたルールの中でいかに勝つかを思考することは、非常にいいことだと思いました。
非常に興味深い内容でした。

大富豪といえば2ca3も散々真剣にやったのですが
特に中3の時は、友人5人ほどで毎日のようにやっていたものでした。
この時は
大富豪になった人間が次の回に入る前に
罰ゲームを決め、次の回の大貧民が罰ゲームを行うといったルールでやっていました。
罰ゲームは今となってはしょうも無いのですが
「好きな子に電話する」や「休み時間に学校の廊下をとにかく全力で走る」などでしたが
当時はかなりスリリングだったことを覚えています。
(大富豪は一番有利だが革命が起きると一転、一番不利になってしまうので
キツイ罰ゲームを設定するのは結構勇気がいる)

2ca3はかなり強いほうだったのですが
こういったゲームでの勝率が
学校の成績とは関係ない(というかどちらかといえば成績いい人間の方が勝率がわるかったり)
ということが結構ありました。


教科書に書いてあることを覚えるのが得意な人間が
決まったルールの中で、自由に自分で思考し"勝ち方"を見つけることが以外と不得意だったりします。
自分はというと
教科書に書いてある方程式を使わずに問題を解いたり
先生の教えの矛盾点を悩み、いらついたりして、
教科書に書いてあることや先生の教えを
素直に飲み込めない(こうやってやれって書いてあるから、とりあえずこうやってやるんだ!的なことができない)子どもでした。
しかし、勉強しなくても成績がトップとかのスーパーな人間でもなかったので(ここら辺が若くして社長な人たちと大きく異なり痛い所)、成績は悪いほうでした。


当時は多分自分が一番成績が悪かったのですが、
今はおそらく一番思考することの多い仕事(プログラマ)をしています。
逆に当時一番成績の良かった友人は
フリーターをやりながら自分のやりたい仕事を探しています。。。。。

自分は今の仕事がすごくあっていると思っていて
いかにらくして、ユーザビリティの高いシステムを構築するかを思考することがとても楽しいです。
らくをするための努力を一生懸命しています。

そこには、方程式や決まった答えなんか無くて、
でも不正解だけははっきりしていて
「これが一番の方法」というのは分からないけど、「これはありえんでしょ」っていうのはすぐ分かる
そんな世界で思考することは
大富豪で、"勝ち方"を模索することに熱中した過去の自分にダブります。